月別アーカイブ: 2012年5月

33

5月25日になった。誕生日まであと一ヶ月だ。
何と言うか、自分にとってある種の節目ともなる日だったので、
今の事を残しておこうと思います。

6月25日、僕は33歳になる。
33年前の6月25日、僕の誕生を祝福してくれた父と同じ年だ。
父は今年66に、母は65になる。

僕は8つの時に祖父を亡くした。
短い時間しか一緒にいれなかったが、祖父がとても好きだった。
祖父の座っていた本家の店に、今は父が座っていて、
あの頃の祖父と同じ様に、お客さんが来るのをうとうととテレビを見ながら待っている。

僕は当たり前の幸せに恵まれた。
自由にさせてもらい、生きて来た。
本当にありがたく思う。
父は最近、「人生の残り時間」と言う言葉を良く口にする様になった。
その言葉を聞く度に、僕は何とも言えぬ気持ちになって黙ってしまう。
昔よりずっと近くに、僕らに恵みとして降り注いでいた「当たり前の幸せ」の終わりがある。

寺社仏閣を参っても、自分の事を願わなくなった。
世界の事とか家族の事を願う様になった。
幸せの基準と言うのがどこかでぼくの中で変わった。

この永遠ではない大切な時間の中で、僕は自分の大切な人たちの幸せを幸せと呼びたい。
その向こう側にしか僕の幸せは、もうないし、
ずっと前からそうだったとして、今それにようやく気付けたのかもしれない。

あと何年僕らにはあるだろうか。
どれだけの事を返せるだろうか。
どれだけの言葉や無形の愛を交わせるだろうか。

あの頃、僕を守ってくれていた傘を今度は自分が開く番だ。
雨の日も風の日も、つらいと言うならその傘を僕が取り支えたい。
そんな風に今は思う。

33年前、どんな気分で僕の事を抱きかかえてくれましたか?
その事を今も喜んでくれますか?
あまり時間は残っていないかも知れない。
でも話せる時間を与えて頂いている事を本当に幸福に思ってます。

僕は長く生きる。
沢山の人と出会い、その人たちの幸福を喜び、
悲しみを分け合い、笑いながらその日を迎えようと思う。

あのね、身体を大事にして欲しい。
もう運転も出来るだけしないで欲しい。
それでも大丈夫な様に、僕はなるので。

生んでくれて本当にありがとう。幸せです。
心配ばかりかける僕だ。ごめんなさい、ありがとう。
二人が僕を誇らしく思ってくれる様な明日を目指すので、
どうか心配しないで、自分たちの小さな幸せを暖めてこれからを生きて下さい。

壊れた時計が思い出した様にカタカタと回った。
物凄く遠くで車の排気音がする他に、音は何もない。
一人部屋で今日が、今日もひとりでに終わる。

おやすみなさい。

2012年05月25日 01:00

SAK コンプガチャ

記念撮影@5/19神戸ARTHOUSE。

左から大石昌良、わたくし高木誠司、folcaのVoヒデ、
リバーシブル吉岡先生、アートハウス昇平さん、手前アルカラのタイスケ。
なかなか揃わんメンツが揃ったので記念撮影になりました。
久々に揃うと嬉しいもんだね。

本日SAK(Sound Around KOBE)、僕は見に行く側ですが、楽しみです。
ちょろっと顔出すくらいだと思いますが、街の空気感じて来ようと思います。

2012年05月19日 14:17

オーバーワード

言葉の持つ力を越える感情、衝動ってある。
それが言葉自身の限界点だと思うんです。
それを越えるために僕らは色々努力する。
組み合わせ方や、それを発するタイミングや
シチュエーションで言葉に魔法をかけて見たりする。
その方法が、人によっては音楽や色みたいな表現になるんだと思う。

持て余すって、足りないのと同じくらい苦しいと思いませんか?
身体の中で余った物は体内で反射して曲がって淀んで形が変わる。
それが辛い。
反対にそれをちゃんと表現、伝達出来る事、
心身から綺麗な形で出してあげられる事はこれ以上にない幸せだと僕は思うんです。

「オーバーワードの表現」

常にそれを目指していたいなと思う。
僕らには音があり、色があり、線があり、言葉があり、時間が、場所がある。
そして表情がある。
つまり、打ち勝つ術がある。
言葉の限界点に屈服しちゃいけない。
ちゃんと伝えよう。その事を諦めずにいようと思うのだ。
曲げずに、薄めずに、正確に、誠実に。
どこかにある、君だけの手段でそれを目指して欲しい。
きっと僕のとは違うだろうと思う。それで良いんだ。

これから僕は少し出かける。
夕方には東京から親友が来るので部屋を片付けてからにしよう。
外は晴れている。
窓は開いていて、どこかの家にかけられた風鈴の音が、風に乗って聞こえてくる。
子供が叫んでいる。サッカーボールを蹴る音がした。1つ2つはねて、それをまた誰かが蹴り返す。

理由も無く溢れる思いはそこにあり、僕はギターを弾いてなんとなしに泣くのだ。幸せだと。
僕のこの何もない時間の中で、それは世界の全てだ。余る程に。溢れる程に。

2012年05月18日 16:31

ロックンロール

生き方を決めた。
もう、我ながらどうしょうもない奴に決めた。
「好きに生きろ」と言われても何が何だか分からなかったりしたんだけどね。
良くもまあ図太い道が真ん中に一本通った物で、完全に自分を納得させる事が出来た。

時々思うのね。
「確かな人」が俺を支持したり愛してくれたりする、その理由ってなんなんだろうなって。

自分の内側から湧き出るもの以上に、そう言うみんなが、俺が俺を信じる理由をくれてた様に思う。
「こいつが言うならきっと俺は間違いないはずだ」と。
でもね、今日は何かその向こう側に行けた気がする。

俺は何と言うか、今みたいな瞬間の自分の事がとても好きだし、
そういう瞬間の自分に言い知れん期待を抱いている。
「何かやりそうだな」とワクワクしてしまうんよね。

泥、舐めるのが好きな訳じゃないんだけどね。まずいし。
でも、結局どこにいてもこう言う生き方してないと自分にワクワク出来ない。
一番良い顔で笑ってたのっていつでもこういう時だった。
言わばこれは音のないロックンロール。
樹木希林さんとかじゃなきゃ収まらん様な生命波動の乱反射であり、放熱だ。

これで良いや。
自分が自分に期待出来ない生なんて、それはもう死ぬ以下だ。
俺は俺として生きる。

よし、じゃあ折角だ。人生の先輩に愛を込めて。

ロックンロール!

2012年05月10日 01:50

紫サンセット

帰省してました。ほんの僅かな時間です。
色々書きたいのだけれど、今日は故郷丸亀での事だけを書き残しておこうと思います。

短い滞在でしたが、それでもスロウに過ごさせてもらいました。
昔、愛犬と歩いた河川敷から夕日を沈むまで見届け、夜になれば友人のやってる店でゆっくりとご飯を食べる。
僕が生まれた街でしてきたのはそれだけっちゃそれだけです。でも、それで良かったんですね。

太陽が沈むのを最後まで見た事ありますか?讃岐の平野ではそれが出来ます。
夕焼けの最後はオレンジじゃなく、赤紫です。その中を、太陽はゆらゆらと形を崩しながら街の中に解けて行きます。
消える直前に、その赤紫がブワッとふくらみ、その後、青とそれを曖昧に溶かした色で空が染まって夜が来る。
そうやって一日は終わります。

僕は今の報告と、行ってきますを言いたかったのだと思う。
ほんの僅かな時間だったけど、故郷は僕に一番見たかった風景をみせてくれ、「そのままで良いから行け」と言ってくれる様でした。

でっかい手の平で背中を押された様で、とても暖かく、心強い。
今、歩き出したこの道を真っ直ぐ歩み、守ろう。それで良い。
それが生涯だとしても。

※写真は、僕のルーツである風景、街の河川敷から見た赤紫の夕暮れ。

2012年05月07日 02:16
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