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LIVE / TICKETSを更新しました。
サイトを全面リニューアルしました!
16年モノ
今日のログ、残しておきたかったので書いておきます。
うとうとしてるからまとまらないと思うけどごめんね。(笑)
98年に関西にてきて、16年が経ちました。
神戸で15年、大阪での生活はわずかに1年、短かったな。
今日が僕の関西での生活の最後のライブと言う事になります。
何本やったんだろ?数えとけば良かったな。くっそー。
折に触れて書いて来たのだけど、僕は昔、故郷香川の事が好きになれなかった。
今思えば思春期の男の子にはありがちなのだけど、自分の価値と世間の求める価値の
折り合いがついていない様な疎外感があって、いつもコンプレックスに
さいなまれている様な子でした。
いつでもこんなもんじゃないぞ、お前らは分かってないって思ってたわ。
これはもう言い逃れのしようのない厨二病やね。(笑)
失敗を極端に怖がる性格で、それが故にチャレンジする事に対して消極的。
原因は成長過程の体験とか、地理風土による所はあると思うのだけど、
とにかくそう言う風に育ちました。
大学で神戸に出て来る事になって、色々変わった。
大学デビューでリセットする良い機会だってのもあったかも知れないけど、
何と言うか、人に変えられたと言う思いです。
や、解放してもらったの方が近いか。
バンドマンにならなきゃならない様な音楽好きはマイノリティでもあったのだけど、
大学の軽音楽部や神戸ARTHOUSEに出演し出してからは
価値を共有する人にも沢山出会えたし、失敗を笑い者にするのではなく、
おいしいねって言って笑い合える仲間にも恵まれました。
ありがたや。関西の「おいしい文化」。
沢山の価値の中で、自分自身はそのままでも何かの価値や意味のある物だと
思える様になりました。
今は高木誠司と言う名前で香川で生んで育ててもらった事も、
関西でこうしている自分の人生の事も心から愛せています。
35年さかのぼってもう一回選択肢を与えられても、僕は僕を選びたいな。
ちょこっと変えたいとこあるけどね。(笑)
僕の名前を呼んでくれたみんな、僕を分厚い殻から出してくれたこの土地と
ここで出会った人たちに本当に感謝してます。
僕は次の選択をしたけれど、それを決めさせてくれたのも
他でもないこの土地での体験があったからです。
チャレンジ、失敗、あんな恐れていた物とも、今は戦えるで。びっくりするわ。
人間こんな変わるもんやね。
今日、直接会えるみんなには絶対伝わる様にありがとうといってきますを言おうと思う。
それから、僕が生きて行く中でほんの少しの間だけだったかも知れないけど、
時間や思いを共にして、それぞれの方向に通り過ぎて行ってくれた皆にも、
本当に心からの感謝を送りたいです。
会場にいなくてもどっかで思い出してくれてると嬉しいな。
色々あったねー。色んな風景を一緒に見たね。
いくつでも思い出せるわ。こんな素晴らしい事あるかね。
実感ちょっと湧いて来たよ。時間が近いね。
返し切れんのは分かってるけど、少しでもちゃんと置いてくね。
沢山の代わりの効かない時間を僕と一緒に過ごしてくれてありがとう。
そうやって過ごせた事を、心から良かったって思ってもらえる様に、
僕もそう言う人になろうと思うので。
捨てずに、今日の事覚えててね。
では、ちょっと寝ます。良い門出になりますように。
てめーら、愛してるぞー。( ´ ▽ ` )ノ
上京のご報告
本当に久しぶりのブログ更新になります。
(Twitterばっかりでズボラしてて本当にごめんなさい(汗))
見てくれてるみんな、ありがとう。
今日はこの場をお借りしてご報告したい事があって、キーボードに向かってます。
僕ね、東京に移り住む事にしました。
音楽と人生をもっと深く、強く結ぶためです。
そのための主戦場として東京を選択します。
色々あって、もう知ってる人もいるけど、今、知ったと言う方には突然の報告となってしまってごめんなさい。10月には転居している予定なんだ。もうそこまで来ているお話です。
初めてする話。僕には3年前に大きな挫折がありました。Hippogriffが活動休止になってからすぐの事です。
僕は作曲家としての大きなチャンスに恵まれ、お仕事を頂ける事になったんですね。
でもね、答えられなかった。気持ちも技術も、全くそこに追いついていなかった。
僕は、折角与えられた人生の大きなチャンスに「答えなかった」んです。
この事は、「人生の恥」として、ずっと僕の胸の真ん中に悶々と居座り続けてます。今も、です。
・・どうだろう?みんなには悔やみ切れない様な後悔ってありますか?
もし、その後悔と対峙するかどうかを今から選択できるとしたら、どうしますか?
そう言う事を実際に選び得る機会が、幸い僕には与えられました。
ネコフェスの対談だから5月か。折よく、東京に行く機会が出来たんですね。
この日に古くからの親友・戦友たちと時間を交えた事がキッカケになって上京を現実的に考える様になりました。
何と言うか・・うまく言えないのだけど、自分の熱量を収める場所が、そこには当たり前にあったんです。難しいね。もっと簡単に言うと、「あ、俺はこっちだ。」と言う感覚です。
本気が集まる環境には、独特の空気が流れてるもんじゃないですか。それをこの日、ヒシヒシと感じて帰ったんです。
やり抜くためには、それが出来る環境を選ばなくちゃいけない。それがここだと、凄く強く感じました。
これは退路を断つ選択。
でも、そんな選択肢を本気で手にしている自分に、僕はどうしようもなくワクワクしたし、
そのフィールドにいる自分をすごく明確にイメージ出来たんです。
・・今更って思う人も多いよね。僕も正直ちょっと思う。(笑)
でもね、僕には今だったんです。あの日の挫折も、2年間企業人として人生の時間を捧げた事も、
全てがこの選択を後押しする物として、形を変えて帰って来てくれた。
アホみたいな話だけどね。本当にそう思ってるんです。
あのね、今ある環境って、たくさんの努力や巡り合わせの上にやっと成り立っていると思うんです。
その奇跡みたいな巡り合わせに、本当に、本当に、本当に感謝してます。
今の居場所に居座りさえすればそれが守れるかと言えば、決してそうではないよね。
僕は、少しずつ無くしている自分に気付いたよ。攻めなきゃ守れないものがたくさんあるもんね。
与えられる環境や、それを成す思いは、本当に人生の宝とも言うべき物だし、漫然と受け取る様な物ではありません。それに相応しい存在になる事がほとんど唯一の報いだと思ってます。だから、そうなって帰ろう。そう言うつもりです。
言うのは簡単だね。証明には時間がかかるな。でも、必ず。なので、ちょっとだけ信じて待ってて欲しいなと思います。
今、新しい作品と共に、いっぱいツアー回ってます。今日やっと言うのも変な話なのだけど、これまでの感謝と、決意表明の旅として回らせてもらってます。
ホント、ウソみたいなタイミングでアルカラや大石昌良君との遠征も決まったしね。こんだけ長い付き合いの中でなかった事なのに、このタイミングとかさ。色々ビックリするくらい、導かれてるなって思うんだ。ホントに、ただただ恵まれたる幸運と愛情に感謝しかないです。
関西生活最後のライブはchaqqの大介がお膳立てしてくれた2マンライブですが、彼が付けてくれたイベント名「カドデ」もそう言う事です。
良い後輩持ったものです。ありがとね。みんなに送り出してもらえたらホントに最高だなって思ってます。良かったらケツたたきにきてね。「あー、これなら行ってこいだわ」って思ってもらえる様にしないとね。
こっちにいれるのは長くても40日切ったみたいです。言っててマジかよって思いますよ。あっと言う間ですね。
最近は日に日にみんなの事を、こっちで残した思い出のいくつもを、家族の事を思います。
みんなに安心して欲しいな。寂しがってくれてる人がいるなら笑って再会を期待してもらえる様にしたいな。責任はこれからも1つも放棄しないすよ。それに、今、お返し出来るだけの感謝をちゃんと置いて行く様にするからね。
・・長くなってしまった。こうした私事に最後までお目通しありがとう。
わがままにして心配ばかりおかけする人生ですが、どうぞ暖かくお見守り頂ければ幸いです。
残る短い関西生活も、そこから先も精一杯で楽しみながら行こうと思います。
まだまだ、これからなんだわ。これからも、よろしくね。頑張るね。
7月26日神戸ARTHOUSEでのライブについて大事なお知らせ
7月26日神戸ARTHOUSEでのアルカラ企画ライブについて大事なお知らせです。
諸般の事情により、高木誠司のライブ本編への出演は不可能となりました。
当日はアルカラとのセッション1曲のみの出演予定に変更となります。
楽しみになさって下さっていた皆さん、本当にごめんなさい。
今回のライブについては、僕の事情で元より出演が非常で困難であり、
一旦オファーをお断りしたと言う経緯があります。
それでも、どんな形でも良いので居てくれと言うアルカラ側からの強い意思を送ってもらい、
それならば、やはりどうにかと実現出来る様に
お互いが出演に向けて最後まで調整をしてきました。
しかし最終的には僕自身の事情と、イベント自体の進行を総合的に判断し、
こういう形での出演と言う結論となりました。
告知段階で出演者としての掲載がなければこうしたお知らせをせずとも
ご迷惑おかけする事もなかったかとも思いますが、
それも踏まえてでも名を連ねてもらえたのはアルカラサイドからの
気持ちだと受け取り、そのつもりで僕自身一曲に込めようと思っております。
皆様もどうかその様に受け取って頂ければ幸いです。
楽しみにしてくれていた方には勝手を言って本当にごめんなさい。
そこに名前のある重みと言う物をもらった時間の中で全うするのが、
今出し得る唯一の回答かと思っています。
短い時間にはなりますが、僕なりの7月26日をちゃんと置いてこようと思いますので、
どうか、ご理解頂ければ幸いです。
僕に取って兄弟みたいな存在の奴らの10歳の誕生日です。
その一日にかける思いは誰より強いと自負してます。
良い日にしましょう。その思いは1つであると信じています。
最後まで読んでくれてありがとう。
当日、アートハウスでお会い出来る事を楽しみにしています。
良き日になりますように、有らん限りを尽くします。
どうぞ、よろしくお願いします。
33
5月25日になった。誕生日まであと一ヶ月だ。
何と言うか、自分にとってある種の節目ともなる日だったので、
今の事を残しておこうと思います。
6月25日、僕は33歳になる。
33年前の6月25日、僕の誕生を祝福してくれた父と同じ年だ。
父は今年66に、母は65になる。
僕は8つの時に祖父を亡くした。
短い時間しか一緒にいれなかったが、祖父がとても好きだった。
祖父の座っていた本家の店に、今は父が座っていて、
あの頃の祖父と同じ様に、お客さんが来るのをうとうととテレビを見ながら待っている。
僕は当たり前の幸せに恵まれた。
自由にさせてもらい、生きて来た。
本当にありがたく思う。
父は最近、「人生の残り時間」と言う言葉を良く口にする様になった。
その言葉を聞く度に、僕は何とも言えぬ気持ちになって黙ってしまう。
昔よりずっと近くに、僕らに恵みとして降り注いでいた「当たり前の幸せ」の終わりがある。
寺社仏閣を参っても、自分の事を願わなくなった。
世界の事とか家族の事を願う様になった。
幸せの基準と言うのがどこかでぼくの中で変わった。
この永遠ではない大切な時間の中で、僕は自分の大切な人たちの幸せを幸せと呼びたい。
その向こう側にしか僕の幸せは、もうないし、
ずっと前からそうだったとして、今それにようやく気付けたのかもしれない。
あと何年僕らにはあるだろうか。
どれだけの事を返せるだろうか。
どれだけの言葉や無形の愛を交わせるだろうか。
あの頃、僕を守ってくれていた傘を今度は自分が開く番だ。
雨の日も風の日も、つらいと言うならその傘を僕が取り支えたい。
そんな風に今は思う。
33年前、どんな気分で僕の事を抱きかかえてくれましたか?
その事を今も喜んでくれますか?
あまり時間は残っていないかも知れない。
でも話せる時間を与えて頂いている事を本当に幸福に思ってます。
僕は長く生きる。
沢山の人と出会い、その人たちの幸福を喜び、
悲しみを分け合い、笑いながらその日を迎えようと思う。
あのね、身体を大事にして欲しい。
もう運転も出来るだけしないで欲しい。
それでも大丈夫な様に、僕はなるので。
生んでくれて本当にありがとう。幸せです。
心配ばかりかける僕だ。ごめんなさい、ありがとう。
二人が僕を誇らしく思ってくれる様な明日を目指すので、
どうか心配しないで、自分たちの小さな幸せを暖めてこれからを生きて下さい。
壊れた時計が思い出した様にカタカタと回った。
物凄く遠くで車の排気音がする他に、音は何もない。
一人部屋で今日が、今日もひとりでに終わる。
おやすみなさい。
SAK コンプガチャ
記念撮影@5/19神戸ARTHOUSE。
左から大石昌良、わたくし高木誠司、folcaのVoヒデ、
リバーシブル吉岡先生、アートハウス昇平さん、手前アルカラのタイスケ。
なかなか揃わんメンツが揃ったので記念撮影になりました。
久々に揃うと嬉しいもんだね。
本日SAK(Sound Around KOBE)、僕は見に行く側ですが、楽しみです。
ちょろっと顔出すくらいだと思いますが、街の空気感じて来ようと思います。
オーバーワード
言葉の持つ力を越える感情、衝動ってある。
それが言葉自身の限界点だと思うんです。
それを越えるために僕らは色々努力する。
組み合わせ方や、それを発するタイミングや
シチュエーションで言葉に魔法をかけて見たりする。
その方法が、人によっては音楽や色みたいな表現になるんだと思う。
持て余すって、足りないのと同じくらい苦しいと思いませんか?
身体の中で余った物は体内で反射して曲がって淀んで形が変わる。
それが辛い。
反対にそれをちゃんと表現、伝達出来る事、
心身から綺麗な形で出してあげられる事はこれ以上にない幸せだと僕は思うんです。
「オーバーワードの表現」
常にそれを目指していたいなと思う。
僕らには音があり、色があり、線があり、言葉があり、時間が、場所がある。
そして表情がある。
つまり、打ち勝つ術がある。
言葉の限界点に屈服しちゃいけない。
ちゃんと伝えよう。その事を諦めずにいようと思うのだ。
曲げずに、薄めずに、正確に、誠実に。
どこかにある、君だけの手段でそれを目指して欲しい。
きっと僕のとは違うだろうと思う。それで良いんだ。
これから僕は少し出かける。
夕方には東京から親友が来るので部屋を片付けてからにしよう。
外は晴れている。
窓は開いていて、どこかの家にかけられた風鈴の音が、風に乗って聞こえてくる。
子供が叫んでいる。サッカーボールを蹴る音がした。1つ2つはねて、それをまた誰かが蹴り返す。
理由も無く溢れる思いはそこにあり、僕はギターを弾いてなんとなしに泣くのだ。幸せだと。
僕のこの何もない時間の中で、それは世界の全てだ。余る程に。溢れる程に。
ロックンロール
生き方を決めた。
もう、我ながらどうしょうもない奴に決めた。
「好きに生きろ」と言われても何が何だか分からなかったりしたんだけどね。
良くもまあ図太い道が真ん中に一本通った物で、完全に自分を納得させる事が出来た。
時々思うのね。
「確かな人」が俺を支持したり愛してくれたりする、その理由ってなんなんだろうなって。
自分の内側から湧き出るもの以上に、そう言うみんなが、俺が俺を信じる理由をくれてた様に思う。
「こいつが言うならきっと俺は間違いないはずだ」と。
でもね、今日は何かその向こう側に行けた気がする。
俺は何と言うか、今みたいな瞬間の自分の事がとても好きだし、
そういう瞬間の自分に言い知れん期待を抱いている。
「何かやりそうだな」とワクワクしてしまうんよね。
泥、舐めるのが好きな訳じゃないんだけどね。まずいし。
でも、結局どこにいてもこう言う生き方してないと自分にワクワク出来ない。
一番良い顔で笑ってたのっていつでもこういう時だった。
言わばこれは音のないロックンロール。
樹木希林さんとかじゃなきゃ収まらん様な生命波動の乱反射であり、放熱だ。
これで良いや。
自分が自分に期待出来ない生なんて、それはもう死ぬ以下だ。
俺は俺として生きる。
よし、じゃあ折角だ。人生の先輩に愛を込めて。
ロックンロール!
ブライト
「やればやるほど不安になる」
とはこの事だ。あ、最近の僕のことね。
思うにこれって半分嘘で半分ホントだ。
最終的に不安を取り去るのは「やってきた」と言う事実でしか、やはりない。
不安が膨らむ時期は、要するにまだ足りないんだろな。
逃げれば楽になるけど何にも、本当に何にも残ってなかったのよね、結局。
喜びは不安や悲しみと背中合わせで、喜びを伸ばすほど背中で影は大きくなる。
さぁ、どうする?
光を薄めれば影は消える。喜びを薄めれば悲しみも薄まるものだ。
でも、突き詰めればそれは感情のゼロ地点に向かうと言う事。
手の平にある幸福を解きこぼす行為だし、僕はこれこそ最大不幸の選択肢だと思う。
結局、悲しみも不安も薄める物ではなく「ぬぐい去る」物なんだと。
根っこの根っこまで降りてってやっつける意外にないんだな。
真上から光を浴びて影を踏み潰す様に歩く。
確かに感じる暖かい土の感触。去れよ不安。いよっし、これで行こう。